大工町

千 枚 分 銅 山

城端曳山祭



だいくまち せんまいぶんどうやま

 大工町の曳山は"関羽と周倉像"を安置する千枚分銅山です。 享保年間につくられた原作は、明治31年(1898)の大火で焼失。明治39年に復元・再造されました。 構造は輻車(やぐるま)の車輪、四方唐破風の屋根、平天井で、高さは6.34メートルです。

 他の曳山のように長年にわたる増補・改造の積み重ねでなく、一貫した設計に基づいて作られたので、形態も均整がとれています。 見返し(後屏)は、一般に"須佐之男命大蛇退治図"といわれていますが、謡曲の"張良"から取材した図であるといわれます。


御神像

 関羽は三国時代の蜀漢の武将で、劉備・張飛と義兄弟の約を結びました。 容貌魁偉・美髯を有し、義勇をもって劉備を助けました。 後世、人びとは諸所の廟を建ててまつり、また財神としても信仰を集めました。 周倉は勇猛な関羽の武将です。

 寛政8年(1796)に荒木和助が"主従二体様式"の新機軸によって作成したものです。 大工町では当初、千枚分銅を模した造形を御神体として、安置していたのではないかと伝えれています。 "千枚分銅"の名称もこれに由来したものといわれます。


傘鉾

 神霊をお招きする傘の上には、木製張子細工の"千枚分銅山"を飾ります。 水引幕の紫地に千枚分銅とかきつばた文様を白抜きに染めています。


庵屋台と庵唄


 平安貴族在原業平の別荘を模した庵屋台で、原作は明治31年の大火で焼失したが、明治41年に復元しました。 前後の庵を風流な橋で結び、周り鴛鴦(おしどり)と杜若(かきつばた)の造り物を配して、 池畔に面した公卿屋形の趣をかもしだしています。屋台の高さは3.06メートルです。 庵唄をうけもつ若連中は"冠友会"といいます。

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